2011年3月8日火曜日

Intolerance

1916年のD.W.グリフィスの映画史に残る大作;"Intolerance"、リアルでは観ていない。




ほんの20年近く前に大きなホールでのリバイバル上映を観たことがある。
鮮明に記憶しているのは、ゆりかごのシーンで居眠り寸前に陥ったワタシ、お連れさんを
窺うと既に白河夜船だった。


我が業界では、トレランスやらクリアランスにやたらとうるさい。
すきまを測定するためのsickness、もといthickness gaugeと言うツールもある。
当然、クルマにもそんな部分があるわけで、ヘッドの組み立てなどの時にはタペットの
クリアランスを一定の許容範囲、或いは公差;トレランスをねらって調整する。


そんな原文が、今読んでいる外国小説にあったらしい。
その小説の一方の主人公は名うてのクルマ好きで、そんなメカニックな部分も本文にはある。
でも、名翻訳家さんは女性だ、上手く表現出来ないようだった・・・。
『許し代』、ワタシ的はトレランスって表現で十分だ。


少し前に読んだ何時もの作家の作品には、関東近郊や上越地方以外に主人公は展開上
関西地方にも出張って来た。でも、名、寸前のストーリーテラーさんは十分認識出来ていないようだった・・・。
『御堂筋を北に疾走する車中で・・・』、それは地下鉄だけやん。


昨夕、山から友人が下りて来たので食事に出掛けようってことに。
御堂筋よりは少し幅が狭い幹線道路でタクシーに向かって手を上げた。そこは交差点、本線と
側道の切れ目だ。一台目が到着寸前に本線から空車ランプの一台がワタシに向かって側道へ
割り込んで来た。あぁ、横入りなんだなぁと見ているとすーっと止まるでもなく行き過ぎるでもない。


なぁーんだ、交差点のコンビニに寄るんだったんだ、横入りの空車との争奪戦に敗れたくだんの
空車さんは、ワタシの傍らを怒りに任せたのかアクセルペダルに力を入れたようで通り過ぎて行った、
にわか雨で傘も無いワタシは呆然だ。


暫し待っているとやって来た、次の空車を見つけた時ににやっとしていた。
寛容も不寛容も須らく紙一重と言うのか、人間万事塞翁が馬だなと仄かに感じた。


*料金は一緒だが、電池の設置場所の加減か後部座席の座面は高かった。

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